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「ほしのあきさん気遣いなさすぎ?」師匠が弟子の熱愛に=ゆかしメディア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090615-00000065-scn-ent
三浦皇成さん、
5歳の時に大井競馬場でのポニー試乗イベントで
騎手の格好をしてポニーに乗ったことがきっかけで
騎手を目指すようになったという、
しかし19歳で子供ですか、 ほしのあきさん、かわいそうですね、
師匠としての思いやりだとは思いますが。
6月15日10時42分配信 サーチナ
国民的グラビアアイドルのほしのあきさん(32)と、競馬界のプリンス、三浦皇成騎手(19)の熱愛報道について、三浦騎手の師匠である河野通文調教師が厩舎の公式ブログで「余り騒がないでやって下さい」というテーマで、「いい年して19歳の子供相手に一面にデカデカとスクープされる様な気遣いのなさ。呆れて物が言えません」とほしのさんに対して声を荒げた。
河野調教師は「私には寝耳に水の話でしたが、紙面を騒がせ恥じ入るばかりです」とした上で、日本中央競馬会(JRA)の幹部らに、かなりの時間、“事情聴取”されたことを明かした。
ほしのさんに対して「ましてや芸能界何年の経験か知りもしないし知りたくもないですが、いい年して19歳の子供相手に一面にデカデカとスクープされる様な気遣いのなさ。呆れて物が言えません」と矛先を向けた。さらに「何が熱愛だって感じですね。本当の熱愛なら年上の彼女が彼の為に気遣いするのが本当じゃないですか?」と続けた。
ただし、2人の仲については「すぐに熱は下がるでしょう。とにかく、余り騒がないでやって下さい」と懐疑的な見方だった。(情報提供:YUCASEE MEDIA(ゆかしメディア))
参照記事http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090615-00000002-flix-movi
Wikipedia より
ほしのあき
ほしの あき(1977年3月14日 - )は、日本のグラビアアイドル、タレント、女優。
東京都世田谷区三軒茶屋出身。東京都立玉川高等学校卒業。A-team(エーチーム)、A-PLUS(エー・プラス)所属。本名及び女優としての名前は星野 亜希(ほしの あき)。
来歴
高校時代、ティーンズ雑誌『プチセブン』(小学館刊)の専属モデルだった友人(SHIHO)に誘われ同誌専属モデルとなる。
事務所を移籍し、月1でラジオ出演しながら3年ほど経過。ドラマの端役が多かった。広末涼子の後任としてP&G「クレアラシル」CMに出演。
2001年頃から本格的にグラビアの仕事を始める。2002〜2003年は、プロレス団体WEW(冬木弘道の設立)の月1興業のエンターテイメント部門の常連で、リング上でマイクを持ちレスラーを相手にコスプレ衣装で迫真の演技をしていた。
有料サイトも含め長らくグラビア系の仕事が活動の中心であったが、その中で「最年長グラビアアイドル」というキーワードを使い出し、2004年後半から急激に仕事が増えテレビのバラエティ番組出演も多くなる。
2006年、日本テレビ系「ドラマ・コンプレックス」内放送ドラマ『都立水商!』出演より、女優としては本名の「星野亜希」となり、バラエティやグラビアなどと名を使い分けている。(同年4月1日に放送されたTBS系『オールスター感謝祭'06超豪華!クイズ決定版』では、ドラマ『弁護士のくず』の主要キャストとしての出演だったため「星野亜希」名義で出演)。同年5月7日に横浜スタジアムのプロ野球横浜ベイスターズ対阪神タイガース9回戦では「星野亜希」名義で始球式を務めた(スポーツ紙の報道では『ほしのあき』と『星野亜希』、『ほしのあき(女優名・星野亜希)』と各紙によって表記がまちまちだった)。また、2006FIFAワールドカップドイツ大会のパブリック・ビューイング記者発表会で日本代表を応援する「F組応援団」の団長として出演。
2007年4月2日からお昼の人気番組『笑っていいとも!』(フジテレビ)の月曜日レギュラー(2008年9月まで出演し1年半で降板)として出演していた。 雑誌グラビア、テレビのバラエティ番組を中心に精力的に活動中。
人物
1978年生まれと1歳サバを読んでいたが、2006年から1977年生まれと公式プロフィールなどに掲載。これは「最年長グラビアアイドル」として知名度が予想以上に増したことと、翌年30歳という節目を迎えるためと思われる。2007年3月に30歳を迎えながらも年齢を感じさせない童顔で、自ら『永遠の少女』と称している。「ロリエロ隊長」の異名を持つことでも有名。
愛犬はトイプードルの「あずき」で、ほしののブログにも登場することがある。また、この「あずき」は深田恭子の愛犬「メロンパンナ」と姉妹(父親が同じ)である。
陰毛が濃いのが悩みで、現在はエステで腋とともに脱毛している(本人がMBSの『痛快!明石家電視台』にて発言)。
巨乳アイドルの中でも抜きん出たプロ意識とエンターテイナー性を持ち、その姿勢は「プロ巨乳」と呼ばれる。また『ジャイケルマクソン』で自らパンストを被る。
男兄弟の中で育った。
芸能界で仲の良い品川庄司の庄司智春や次長課長の河本準一の影響で、プロ野球は阪神タイガースのファンとなる(もともとは野球に興味はなかった)。
エピソード
P&G「クレアラシル」のCM終了後は鳴かず飛ばず状態に陥った(本人がMBSの『痛快!明石家電視台』にて発言)。『あっぱれ!!さんま大教授』に出演した際に、そのCMを流したのだが、主役と譲らないほしのは明石家さんまからは「主役じゃなくて店員さんでしょ」と突っ込まれていて(実際に女子高生を相手にする店員役)、自ら営業に回ったことを明かしている。
あまり裕福でない家庭に育ったからか、高校時代は友人からブラジャーを貰っていた。(『くるくるドカン』にて)
『プチセブン』の専属モデルを卒業する際に、その上年代の『CanCam』のファッションモデルを目指していたが、痩せているわりには胸が大きくなっていたこともあり、編集部のスタッフからビューティー系モデル(ヘアメイクやフェイスメイク専用のモデル)になることを打診されたために、ファッションモデルへの道を断念した。またその原因となった自らの胸の大きさに当時はコンプレックスを感じており嫌いだった[1]。
『クイズ!ヘキサゴンII』の初期の最下位争いの常連で香田や大沢、福田沙紀、里田まいがいたため最下位になる事は余り無かったが、各チームの最下位(以下:アンカー)になる事が多かった。しかし2007年からつるの剛士、木下優樹菜、スザンヌ、上地雄輔、野久保直樹といった新たなおバカキャラが準レギュラー化してからは中位入りする事が増えた。2007年10月10日放送分での行列早抜け!リレークイズで自分のチームが最下位と決定したため、残った木下、里田とおバカ決定戦を行ったが結局負けてしまい「恥ずかしい」とコメントしていた。2008年からは自身がMCを務める『みんなのウマ倶楽部』の収録と被る(アシスタントを務める木下が『ヘキサゴンII』の収録で欠席する事がある)ため、3月5日放送分を最後に出演していないが、正式に降板したわけではない[2]。2008年10月に放送された「サイフの品格」では木下達と共に「ヘキサゴンファミリー」の一員として紹介された。
2005年、『笑いの金メダル』に出演した際、「まだちゃんとした彼氏が出来たことがない」と発言。また同様の発言は『グラビアトークオーディション』の前振りトークでも行なっている。
2006年度ゴールデン・アロー賞「グラフ賞」を受賞。代々受賞者が務める「雑誌愛読月間」のイメージガールを“ロリエロ”な“30歳”(=2007年に迎える年齢)が務めることとなった。
2007年3月、30歳を迎える直前に運転免許を取得。本人曰く「海へドライブに行きたい」とのこと。
安室奈美恵の大ファン。2007年6月の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に安室のゆかりゲストとして登場した。
オリコンが2007年夏に発表した『今年、一緒に海に行きたいグラビアアイドルランキング』で、安田美沙子、リア・ディゾンを抑えて総合第1位に選ばれた。
グラビアアイドルの仕事を始めた頃、バストサイズを測ったら78cmしかなかったにもかかわらず、公称88cmとした。(細身のため)アンダーバストが小さいから、とのこと(2007年12月13日放送の『ごきげんよう』(フジテレビ)に出演した際に告白)。
2007年12月26日に放送された『笑っていいとも!年忘れ特大号2007』のものまね紅白歌合戦では小倉優子の物真似を披露した。
ほかにクレヨンしんちゃんの野原しんのすけの声のものまねもできる。
2008年1月27日に施行された第49回アメリカジョッキークラブカップの終了直後に、司会を担当している『みんなのケイバ』内で同レースの3連複24,420円(購入額100円)を的中させていたことが明らかになった。
2008年2月5日放送『アドレなガレッジ』にて、19歳の時を2回経験したと年齢詐称を認めた。10代と20代ではオーデションの量が違うとのことが詐称をした原因だと述べた。
新潟総合テレビで放送されているスマイルスタジアムNSTの「競走馬命名プロジェクトIII」にて、自身が応募した「ハシッテホシーノ」が採用された。なお、「ハシッテホシーノ」は、デビュー2戦目となる2008年10月25日東京3Rの未勝利戦(芝2000m)で、2分2秒1のタイムで初勝利した。
飼っているティーカッププードルの「あずき」は深田恭子の飼っている「メロンパンナ」と同じ父親(なので姉妹)である。
三浦皇成
三浦 皇成(みうら こうせい、1989年12月19日 - )は日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターの河野通文厩舎に所属する騎手である。東京都練馬区出身。身長162cm、体重46kg、血液型O型。騎手免許は平地競走と障害競走両方所持している。
来歴
5歳の時に大井競馬場でのポニー試乗イベントで騎手の格好をしてポニーに乗ったことがきっかけで騎手を目指すようになり、小学校入学時辺りから騎手を目指してトレーニングを始めるようになる。器械体操、トランポリン、水泳、キックボクシング、剣道など多くのスポーツを経験する。2009年5月17日に放送された「ジャンクSPORTS」では、7歳にして腹筋が割れている写真が紹介された。 2003年全日本ジュニア馬場馬術大会ではファイナルに進出する。2004年に日本中央競馬会競馬学校の入学試験に合格。2005年4月より同校へ第24期生として入学した。2008年2月に卒業するまでの3年間全ての試験を1位、なお同期入学には8人いた。
2008年、2月12日に同校を卒業した。同日に行われた卒業記念模擬レースではジーガーユタカオーに騎乗して2着で、同日の謝恩会では「スポーツマン大賞」を受賞した。卒業時の同期には大江原圭と伊藤工真がいる。2月14日、2008年度JRA騎手免許試験に合格し3月1日付で騎手免許を交付された。同年の新人騎手は前述の2人に加え地方競馬より移籍の内田博幸と鷹野宏史がいる。
特に競馬サークルでの縁故のない三浦に河野通文厩舎への所属を提案したのは競馬学校教官の蓑田早人である。
エピソード
座右の銘は「気魄」、目標とする騎手は田中勝春、クリストフ・ルメール。
小学5年生の時、電車で女性の孫娘に席を譲った。その女性は「オメガ」の冠号で知られる馬主の原禮子で、右手を怪我していながらも席を譲る少年に関心し、話をするとその少年が騎手を目指していると知り、自分の所有馬がプリントされているQUOカードを渡し、将来騎手になったら乗ってくれるように言った(この時に名前は聞いていなかった)。その後、三浦が騎手となり、原の元に挨拶に行くと、原は驚くと同時に三浦のバックアップをすることを約束した。初めて重賞を制したフィフスペトルを管理する加藤征弘に三浦を紹介したのは原である。
デビュー週での落馬事故で、騎乗していたアドマイヤベッカムの馬主である近藤利一が馬の故障(落馬の原因)を知り、「人はどうでもええ!馬はどうなっとるんや!」と非情な発言したことにより師匠の河野が激怒、河野厩舎に預託されていた近藤の4頭の馬は別厩舎に移った。その後、近藤利一ならびに妻の近藤英子の所有馬には乗った記録は無い。
河野通文
河野 通文(こうの みちふみ、1950年1月8日 - )はJRAの調教師。美浦トレーニングセンター所属。岐阜県出身。
来歴・人物
当初、大学卒業後にハワイに渡ってハイビスカスの栽培を手がけるつもりであったが、アメリカの景気悪化により断念。その後、西塚安夫調教師に牧場勤務を勧められ競馬に携わるようになった。
ダービーステークス優勝ジョッキーでもあるアラン・ムンロ(Alan Munro)が日本へ短期免許で来日した際に身元引受人となった。アランは、学生時代に古武道経験がある河野に武道の手ほどきを受けて以来、マーシャルアーツなどの格闘技に夢中になったといわれる。
2008年より三浦皇成が厩舎所属の騎手となる。その他の所属騎手に菊池憲太がいる。
2008年8月より、自身と厩舎の公式ブログを開設している。ブログでは比較的率直な言動が目立ち、例えば2009年3月にはフィフスペトルの弥生賞回避を巡り、同馬を管理する加藤征弘調教師が「三浦の調教ミスで回避を余儀なくされた」と当初メディアに発表したことに対し「三浦の調教は指示通りの内容だった」と反論(詳しくはフィフスペトルの記事を参照)。また美浦トレセンでの春闘に対しても「全く世相を理解していない」と組合側を批判したりもしている[1]。また弟子の三浦皇成との熱愛が発覚したタレントほしのあきに対しても激しく批判した。
このような率直な言動に対しては、水上学が「ブログで書くべきことではない」「お金を出して馬券を買う立場のファンに、要らぬ疑心暗鬼を抱かせる」と批判したり、先の三浦とほしのの件でも、ほしのを批判するのではなく、熱愛をスクープしたスポーツニッポンを先に批判または取材拒否すべきだという意見もあり、結果マスコミには非常に甘い河野の姿勢が浮き彫りになった。挙句、ブログで本人は「静かにしてやってほしい」と言いながら、自分がブログに書いたせいで再度マスコミに取り上げられるという本末転倒な事態を招いた。これらの、勝負の世界にいるにも関わらず先を見ることがあまりにも下手な人間性には疑問の声があがっている[2]、一部で発言を諌める動きもあるが、本人は「主催者のJRAしかり、厩舎対騎手、オーナー対厩舎の関係など、それら全て(全ては言い過ぎかもしれませんが)も知って頂いた上で尚且つ競馬を愛し、競走馬を愛し、好きな騎手を何卒愛し、大きな気持ちで受け止めて頂いた上で、観戦して頂く事が私の衷心からの望みであります。」として、今後も積極的に情報を公開していく姿勢を示している
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090615-00000065-scn-ent